こんにちは、かっきさんです。
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この記事の内容
僕、かっきさんが考えるミニマリズムのメリット「時間にゆとりができる」について考察します。
ミニマリズムを生活に取り入れると時間にゆとりができます。
これはミニマリズム最大のメリットであるといっても過言ではないと僕は思っています。
- 何故そう思うのか?
- どうすればそうなるのか?
ということを次の3つの側面から考察していきます。
- 持ち物の側面
- 人間関係の側面
- 習慣の側面
今回の記事では「持ち物の側面」について更に深掘りしながら考察していきますので、是非最後まで読んでいただいてご自身の時間のゆとりを生み出すヒントを見つけていただけたらなと思います。
ざっくり読みたい方はこの記事のまとめからどうぞ。
それでは本題に入っていきましょう。
ミニマリズムで時間にゆとりができる
断言します。
ミニマリズムを生活に取り入れると時間にゆとりができるようになります。
間違いありません。
ではなぜ、ミニマリズムを実践すると時間にゆとりができるのでしょうか?
その理由を先述の通りミニマリズムによって手放していく以下の3つの側面ごとに考察していきます。
- 持ち物の側面
- 人間関係の側面
- 習慣の側面
この記事では「持ち物の側面」について見ていきましょう。
時間のゆとり「持ち物の側面」
まずは持ち物の側面から。
自分の所有するモノを必要最小限に絞り込むと、まずは部屋全体や収納の中といった空間がスッキリとしてゆとりのある状態になります。
そのことによって得られる以下のような効果により、時間的なゆとりも得られるようになります。
それぞれ見ていきましょう。
探し物がなくなる
空間がスッキリとゆとりのある状態になっていると、どこに何があるのか常に一目でわかるので探し物をする時間がなくなります。
仮に何かを探すとしても、そもそも収納さえも絞り込んでいるので例えばクローゼットなど限られた所さえ探せば探し物は簡単に見つかります。
しかもその収納の中身さえ空間にゆとりを持たせて収納されているので、引き出しさえ開ければガサガサと漁りまわさずとも目的のモノにたどり着くことができます。
散らからない・片付けが簡単に
モノが絞り込まれていると片付けの時間が短くなるという効果もあります。
そもそも散らかる原因が取り除かれている状態なので部屋が散らかりにくい体質になっていて、ほぼほぼ「片付けしなければならない」状態まで追い込まれることがありません。
常に空間にゆとりのあるスッキリした状態がキープされているため、仮に一旦何か作業をして部屋にモノが出しっぱなしになったとしたら、そのモノが悪目立ちをしてものすごく違和感がある状態になります。
その状態だと無理矢理「片づけるぞ!」と意気込んで取り掛からなくてもササっと自然の流れであっという間に片づけて元の状態に戻すようになります。
この効果は絶大です。
逆の状態について考えてみましょう。
元々部屋にいろいろ飾り物があったり出したまま普段使いしているモノがたくさんあると、新たに使うために出してきたモノを使い終わってもそのまま出しっぱなしになりがちです。
しかもそのままでも他のモノに溶け込んでしまって常態化していき、気が付けば部屋がガチャガチャになって、片づけるには多くの時間と労力を費やさなければならなくなってしまいます。
こうした現象・傾向は学術的には「割れ窓理論」として広く知られているようです。
「そもそも窓の数を必要な数に絞り込んでおけば割れる機会も少ないし、割れても修理は簡単だよね」
ということになるかと思います。
掃除が簡単に
モノを絞り込んで部屋をスッキリゆとりのある空間にしておけば、掃除にかかる時間も短くて済むようになります。
ここ、大事なところです。
先ほどまで述べていたことは「片付け」についてでした。
これから述べるのは「掃除」についてです。
では「片付け」と「掃除」はどう違うのでしょうか?
みなさんはハッキリと明確に違いを説明できるでしょうか?
この問いかけへの回答はこうです。
片付け = 「整理」「整頓」「収納」 すなわち、モノの厳選と配置
掃除 = 「清掃」「清潔」「美化」 すなわち、汚れ穢れの除去
どうですか?
思っていた通りでしたか?
ここでわざわざ「片付け」と「掃除」の違いについて説明しているのは何故かというと、部屋が散らかりがちになりやすい人ほどこの違いを理解できていないと感じるからです。
そういう人は「片づけるぞ!」と意気込んでは掃除を始めてしまったりします。
片付けと掃除は明確に違う行為です。
そして部屋が散らかっている場合、先に行うべきは片付けであり、片付けのあと、あるいは必要に応じて片付けの途中に掃除をするというのが効率的な順番になります。
そうしないと手間暇ばかりかかってしまって、苦労してクタクタになった割にはほとんど何も変わってないといった事態になりかねないのです。
といったところで話を元に戻します。
モノが絞り込まれたゆとりのある部屋というのは、言い換えると「片付けが行き届いた部屋」であるともいえます。
そういう部屋というのは床に出しっぱなしのモノがなく、配置した家具も必要最低限に絞り込まれています。
ですのでいざ床掃除をしようとした時に、ほぼほぼ何も動かさずにササっと掃除機掛けなりモップ掛けなりしてあっという間に終わらせることができます。
僕の部屋の場合はテーブルと椅子だけ動かして床掃除をするのですが、テーブルも椅子も折りたたみ可能なのでとても運びやすく、たたんでベッドの上に避けてしまえばあとは存分に掃除機をかけることができます。
ミニマリストの中には床掃除をお掃除ロボット「ブラーバ」や「ルンバ」に任せて自動化してしまっている人もいます。
そうなるとますます掃除の時間が短縮されて時間のゆとりができることになります。
お掃除ロボットは優れた家電ではありますが、モノが多かったり散らかったりしている部屋ではその効果が存分には発揮されません。
そういった点から見てもやはり、掃除よりも片付けの方が優先されるということがわかります。
そしてお掃除ロボットとミニマリズムの相性の良さも強く感じます。
モノが絞り込まれたゆとりのある部屋では床以外の場所の掃除も簡単に短い時間で済ませることができます。
例えばテーブルや収納棚。
極端なミニマリストの場合は、そもそもテーブルも収納棚も持ってなかったりするのですが(汗)
そういった外れ値(*'▽')は一旦さておき、ミニマリズムを実践していると、テーブルの上にモノを出しっぱなしにすることはほぼないですし、収納棚の上にモノを配置したり飾ったりすることもない、もしくはひとつだけこだわりの逸品を飾っている程度なのでサッとモップ掛けするだけ、一瞬で掃除が完了します。
簡単に掃除ができるので僕は毎朝のルーティンの中でテーブルと収納棚にモップ掛けしてます。
所要時間は5秒くらいでしょうか(笑)
当然、全く苦になりません。
毎朝掃除をするのでホコリが溜まることもありません。
常に清潔です。
だからいつも清々しく1日が始まります。
さてミニマリストあるあるとして「ミニマリストはテレビを手放しがち」というのがあります。
勘違いしないで欲しいのは「ミニマリストだったらテレビは持ってちゃダメ」ということではなくて、あくまでもそういう傾向があるということでよろしくお願いします。
で、テレビがないというのも掃除の時間が短くなるという点において大きな効果があります。
みなさんもそうは思いませんか?
テレビ回りって、ケーブルだのその他の機器だのと結構ゴチャつきがちで掃除しにくいですよね。
僕は毎朝そう実感しています。
我が家にはリビングにテレビがあって、ここも毎朝モップ掛けをしています。
これが簡単ではないんですよね( ;∀;)
さすがに毎朝やっているので慣れてしまっていますが「なければ不要な手間なのにな~」と思ったり思わなかったり(笑)
テレビは僕のモノではないしリビングは家族の共用エリアなので我が家のを手放すことはないのですが、ここで言いたいのは、多くのミニマリストはこういった手間も省いて「時間のゆとり」につなげているということです。
選ばなくてよくなる
ミニマリズムを生活に取り入れると、何某かを選択する時間も短縮されます。
例えば服、バッグ、文房具、食器・カトラリーといったものを使うときですね。
この中でもっとわかりやすい例が服選びではないでしょうか。
たいていのミニマリストは「私服の制服化」をしていて、全く同じ服を2~3着程度所持してそれをローテーションで着まわしていたりします。
これだと朝にコーディネイトで時間を浪費することがないですよね。
更に言うと、服を買い替える時もリピ買いもしくは同系統の選択をするようになるので、買い物の時間も短く済みます。
買い物時間が短いのは服に限らずすべてのモノに言えることで、普段から選び抜いたモノを使っているからこそ、買い替える時も迷わずリピ買いするので時間がかかりません。
そもそも、ミニマリズムを実践していると必要なモノも欲しいモノも非常に少なくなるので、買い物の機会そのものが少なくなってほとんど時間がかからなくなります。
例えば僕の2021年2月期の買い物回数は5回です。
変態ですね(笑)
僕の場合は食材や共用の日用品の買い物を家族に任せているので極端かもしれませんが、買い物回数が少ないのは他のミニマリストでも同様の傾向です。
やることが少なくなって余る
ミニマリズムを生活に取り入れる際、必要最低限のモノと本当にやりたいことに使うモノだけに持ち物を絞り込むため、連動してやること・やれることも絞り込まれて時間が余るようになります。
この効果は特に次に挙げるようなモノを手放すと得られやすいです。
- 気分転換や時間つぶしのための娯楽品
- 漠然としたいつかのために使うモノ
気分転換や時間つぶしのための娯楽品
気分転換や時間つぶしのための娯楽品というのは、例えば次のようなものです。
- テレビ
- ビデオ
- マンガ
- 雑誌
- ゲーム
みんな僕の大好きなものばかり(笑)
より正確に言うと、大好き「だった」ものですね。
これらがあると、やらなければならないことが終わった時とか、ちょっと疲れてほっとしたい時に、何の気なしに始めてしまって気がついたら何時間も経っていた、なんてことに簡単になってしまいます。
みなさんも身に覚えはないでしょうか?
特にテレビは無目的でつけて観始めたのに、本来は何の関心もないはずのことに惹きつけられて、あっという間に1時間、2時間と「そんなはずではなかった」時間が過ぎてしまいます。
がしかし、これらを手放してしまえばこのような事態は防ぐことができます。
そして今まで浪費していた時間がゆとりに生まれ変わるのです。
ここで大事な補足があります。
確かにこれらの娯楽を手放せば時間のゆとりができます。
がしかし僕は、このような娯楽を完全否定しようと思っているわけではありません。
娯楽とは、言い換えると芸術であり文化であり文学であると僕は思います。
芸術・文化・文学に触れることは感性・価値観・世界観を広げることにつながります。
ちょっとこの下に僕が強く影響を受けたものをざっと挙げてみようと思います。
- THE世界遺産
- 手塚治虫作品
- スタジオジブリ作品
- スラムダンク
- 幽遊白書
- ワンピース
- 機動戦士ガンダム
- 新世紀エヴァンゲリオン
- Sports Graphics Number
- ドラゴンクエスト
- ファイナルファンタジー
- テイルズオブシンフォニア
すぐに思いつくのはこれくらいですが、きっともっとあります。
これらに触れるにつけ、時に笑い、時に泣き、感動したり感銘を受けたり、ハッとさせられて物事の見え方が変わったり。
そんなことを繰り返しながら、今の僕が出来上がっていったのだと思います。
手塚治虫先生やスタジオジブリの作品に出会わなかったら、環境問題に立ち向かっていこうとする僕にはなっていなかったかもしれません。
SDGsに関心を寄せることもなかったでしょう。
多くの作品で描かれている「同じ事象が立場の違いで違って見える」ということが僕の心の中に強く強く刻まれています。
どちらも僕の心の中核をなすものです。
そしてこの中核を育んでくれたのが上に挙げた作品たちでした。
つまり、娯楽を完全に遮断してしまうことには感性・価値観・世界観が広がらなくなるという弊害もあるということです。
この記事ではミニマリズムのメリットを紹介しているのですが、ここは大事なところだと思ったので連動するデメリットについても触れさせていただきました。
この部分については今後の記事で再度考察したいと思います。
繰り返しになりますが、気分転換や時間つぶしのための娯楽品を手放すと時間のゆとりが生まれます。
これまで何の気なしにだらだらと使ってしまっていた時間が浮いて時間が余るようになります。
余った時間は夢に向かっての行動に充てるもよし、旅行や映画、スポーツをするなど主体的に娯楽を楽しむもよし、自分次第です。
結局、時間の使い方はバランスが大事なのだと思います。
何かに集中しながらも、時には計画的に娯楽を楽しむことで感性や価値観を広く成長させながら夢に向かって邁進できる、豊かな人生が歩めるようになるのではないでしょうか。
漠然としたいつかのために使うモノ
漠然としたいつかのために使うモノというのは、例えば次のようなものです。
- 趣味のモノ
- コレクション
これらを手放すと、次のような理由で時間にゆとりができるようになります。
- 管理・メンテナンスの時間が浮く
- 新しいアイテムに目移りしなくなる
- 気持ちを持っていかれなくなる
- 覚悟が決まる
管理・メンテナンスの時間が浮くというのはどういうことかというと、全てのモノに共通して言えることではありますが、特に趣味のモノやコレクションというのは、しっかり手入れしてあげないとどんどん劣化していったり、持っているだけでは意味をなさなかったりします。
例えば僕の場合はサイクリングが趣味なのですが、そのために使う自転車は適宜ホコリを取ってあげたり油や空気を補填してあげないと、いざサイクリングに出かけようという時にパフォーマンスが存分に発揮されないばかりか、最悪の場合故障して事故に、なんてことにもなりかねません。
サイクリングを趣味として自転車を持っている限り、そのメンテナンスは人生における必須事項、絶対に必要なかけるべき時間だといって過言ではありません。
コレクションの場合も同様です。
僕はコレクションというのは持っているだけでは意味をなさないと思っています。
集めたお気に入りのモノをコレクションとして輝かせるためには、ショーケースに入れるなどしてなるべくホコリが被らない工夫をしながら「見せる収納」にしておく必要があると思います。
よくありがちなのが、集めたモノを引き出しの奥の方に乱雑に収納してそれを「コレクションだ」と思い込んでいるケースです。
これではせっかくの宝物も台無しです。
コレクションは「見えてナンボ」なのです。
常に見えるようにするか、常には見えなくてもすぐに見れるようにする、あるいは一部だけ常に見えるようにしておいて気分や季節などで見えるものを入れ替える、など、見せ方・愛で方はアイテムの性質や量によっていろいろやり方があります。
ここまでやってこそコレクションです。
コレクションをコレクションとして所持する限り、本来は大変な手間暇がかかるものなのです。
その手間暇が惜しくないほど夢中になっているからこそ、集めて所持することに意味がある・人生が豊かになるのだと僕は思います。
貴方がコレクションだと思っているモノ、いつでも愛でられるように片付いてますか?
あるいは今後、そういった「大切な気がしている」アイテムを見えるように飾って、常にホコリが被らないように手入れしたいと思いますか?
そうでないなら、それは既に今の貴方には必要のないモノ、手放しても構わないものなのかもしれません。
このように趣味のモノやコレクションというのは、人生を豊かにしてくれる一方で多くの時間を要するものでもあります。
そして幸か不幸か人の心は大変に移ろいやすいものであったりもします。
一時期ものすごく夢中になって取り組んでいた趣味も、気が付けばもう何年もやってない、なんてことは誰しもが経験のあることではないでしょうか?
そして全く使っていないにもかかわらず、これらを手入れしなければならない手間はなくなりません。
そういった既に自分の中で旬の過ぎた趣味のモノやコレクションを手放すと、それらのためにかかっていた手入れの時間が浮いてゆとりができるようになります。
「使っていないけど別に手入れもしてないから時間も奪われてないよ!」
と思った人もいるかもしれません。
しかし使ってもいない、手入れもしないのであるならば、それらを何のために所持し続けているのでしょうか?
思い入れがあって手放し難いのはよくわかります。
が、「今を生きる」ために思い切って手放せば、今必要なモノのための収納にゆとりができて片付け・管理がやりやすくなります。
探し物だって少なくなるでしょう。
結果、時間の節約になってゆとりができるようになります。
新しいアイテムに目移りしなくなるというのはどういうことかというと、不思議なもので趣味・趣向のモノというのはしばらく使ってなくてもただ持っているだけで、それを便利に・快適に使うためのアイテムや類似のアイテムを知らず知らずのうちに探してしまいがちだということです。
例えば僕の場合は、サイクリングの様子を動画撮影するためにちょっと前までアクションカムを持っていました。
買った当初はサイクリングに出かけるたびにいろんなアングルで動画撮影しては編集してSNSに投稿するという「アクションカムのある生活」を満喫していました。
しかしやがて、それまでの熱気が嘘のように動画に関する撮影や編集、投稿といったあらゆることが億劫になっていき、全く使わなくなってしまいました。
ところが!
使っていない、使う気もないのにも関わらず、ネットでなんとなく情報を探していたりする時にふとアクションカム用のマウント機材のことだったり、動画編集ソフトの紹介といったものを見つけた時、気になって調べ始め、気が付けば欲しくなってしまっていて更に深掘りを始めてしまったり、という具合にどんどん時間を奪われていました。
こういった「使ってないけどなんとなく持ち続けているモノ」を手放すと、上記のような余計なことに使っていた時間が浮いてゆとりができるようになります。
気持ちを持っていかれなくなるというのはどういうことかというと、人の思考というのは視覚に大きく左右されるらしく、使わないモノでも目に留まっただけでそれについて考えてしまう性質があるようです。
ですから、部屋でなにかやりたいことを集中してやっていたとしても、ふとしたタイミングで趣味のモノやコレクションなどが目に留まってしまうと集中が途切れ、やりたいことがはかどらなくなって時間を消耗してしまうことになってしまいます。
反対に部屋から趣味のモノやコレクションを必要最低限にまで取り除いておくと、やりたいことを阻害する要因が最小化されます。
そうすると集中力が持続して作業が捗り短い時間で終えられるようになるので時間にゆとりができるようになります。
ここで「趣味のモノやコレクションは全捨てでなくてもよいのか?」ということについて考察してみたいと思います。
僕の師匠であるMinimalist Takeru先生はミニマリズムをビジネスにすることにフォーカスしたミニマリストで、曰はく、
「人生を変えたい、本当に今の生活から脱却したいのなら、趣味とか言ってる場合じゃない。全部なくしても問題ない。」
となります。
さすがミニマリストであることにミニマル化している方だけあって、時としてこういう「振り切った感」満載の主張をされることがあります。
こういう導き?を聞いた僕は大いに感銘を受けて、実際に僕の生活に取り入れていくにはどうしたらよいのかということを考え実践していくことになるのですが、僕的には
「ライフワークといえるほど打ち込んでいるモノならば持っておいていいんじゃないか」
と思っています。
僕の場合だとロードバイクがそれにあたります。
今現在の僕にとってのロードバイクというのは「使う機会のない飾り物」となっています。
生活を事業にフォーカスさせているため、自転車に乗るのはサイクリングではなくウーバーイーツの配達員としてであり、その時はマウンテンバイクを使うのでロードバイクの出番はないのです。
がしかし、このロードバイクは僕の夢の中心でもあります。
将来僕が完全リタイアを果たした暁に、このロードバイクで日本一周するというのが僕の夢です。
そのために今の僕は、ミニマリズムにを生活に取り入れることによって得られた時間のゆとりのほとんどを、お金を「稼ぐ力」を伸ばすことに使っています。
今でこそ使っていないロードバイクですが、でも使っていなくても僕にとっての道標なのです。
この道標があるから、僕が何の事業をやるかとなった時に迷わず自転車で活躍できるウーバーイーツを選んだのです。
そして実際、最初の配達はロードバイクでやりましたからね(笑)
自転車にミニマル化した僕の部屋で過ごしていると、いやでも自転車が目に入ってきます。
特に高い位置に収納しているロードバイクは「これでもか!」と言わんばかりの主張の塊で(笑)
ふと疲れた時などにロードバイクを眺めていると、忘れかけていた夢への思いがよみがえって気分が高揚し、活力がみなぎってきます。
結果、ブログを執筆するにせよ、BGMを流しながらのんびりくつろぐにせよ、ロードバイクの存在が空間と心により上質な豊かさをもたらしてくれています。
「趣味のモノやコレクションは全捨てでなくてもよいのか?」という考察をまとめ直すとこんな感じでしょうか。
趣味を夢や事業にまで高められれば、少々使っていないアイテムもモチベーションアップと人生の豊かさにつながるから持っていてもOK!
いかがでしょうか?
さてここまでは「使っていない趣味のモノやコレクションを持っていると目に留まった時に気持ちを持っていかれて集中力が途切れ、時間をロスする」ということを書いてきました。
では収納している「いつか使うかもしれないモノ」はどうでしょう?
見えないから気が散ることもないのでOKなのでしょうか?
もちろん「気持ちを持っていかれなくなる」という観点以外のところで「いつか使うかもしれないモノ」も手放した方が良いというのは既に書いたところではあります。
僕が思うに「気持ちを持っていかれなくなる」という観点においても、収納している「いつか使うかもしれないモノ」は手放した方がメリットにつながると考えます。
なぜそう思うのかというと、どうやらモノというのは所有しているだけで見えてなくても、心の奥底の無意識、潜在意識の中でぼんやりと気にかけているようなのです。
このことがハッキリとわかるのは「いつか使うかもしれないモノ」を手放してしばらくたってからです。
ちょっとした余暇ができた時のゆったり感が全然違うのです。
手放す以前だと知らず知らずのうちに「最近動画撮影してないなー」とか「動画編集いつやろーかなー」みたいな「やりもしないのによぎるだけの思い」が頭の中を駆け巡って心が休まらず、ゆとりがない状態になっていたということに気づかされました。
「いつか使うかもしれないモノ」がなくなると上記のような「下手な考え」は一切浮かばなくなります。
思考がクリアになるんですね。
ですからその時間をゆとりとして満喫することができるようになるだけではなく、雑念なくリラックスしているので本当に集中したいことのアイデアが苦も無く浮かぶ相乗効果も得られます。
さてここから覚悟が決まるについて考察していきます。
趣味のモノにしてもコレクションにしても、仮に今は使っていないとしても一時期はかなりの思い入れを持って手に入れたはずですから、これらを手放すとなるとそれ相応の意志の強さ、すなわち覚悟が必要になってきます。
「〇〇に集中するって決めたんだ!」
「過去でも、漠然としたいつかでもなく、今を生きるんだ!」
「だから、さよならっ!!!」
僕の場合はこんな感じでしょうか。
綺麗にミニマリズムと親和性の高い「選択と集中」「今を生きる」が取り込まれています(笑)
最近だとアクションカムを中心とした動画編集関連のモノを手放した時がそうでした。
まさに断腸の思いです。
大きな精神的衝撃を伴いますが、それだけにその後の見返り?もとても大きいです。
どう大きいのか?
まずそれまでの心のモヤモヤが晴れて一気にスッキリ爽快になります。
そしてそれまでただ無為に過ぎていただけの時間が、充足したくつろぎタイムになったり、今自分が集中したいと思っていたことに使えるようになります。
まさに自分が覚悟を決めて願った効果そのものです。
なぜそうなるのか?
うまくは説明できないのですが、でもそうなのです。
ここでユダヤ人の教典のひとつ「タルムード」に、このことに通じる教えがあるので紹介します。
No pain, no gain.
(労力なくして得るものなし。犠牲がなければ得られない。)
こんなことを書いているうちに、ファイナルファンタジーⅨとドラゴンクエストⅪであったよく似た場面のことを思い出したので、それについて少し触れてみます。
物語の途中でヒロインが家族と死別してしまいます。
しばらくは悲しみに暮れて落ち込み、気力も失っていましたが、仲間の支えもあって意を決したヒロインが長かった髪をバッサリ切って立ち直るのです。
この髪を切った直後の両ヒロインの眼差しが、清々しくもあり凛々しくもありといった具合にとても印象的で、僕が忘れられないシーンのひとつとなっています。
なんだか話がそれてしまいましたかね?
「覚悟が決まる」ことをお伝えしたくて書いてみましたが、なんとなくわかってもらえたでしょうか?
それでは話を元に戻しましょう。
僕が思うに「やることが少なくなって時間にゆとりができる」という点において、この「覚悟が決まる」ということがいちばん大きな要素なのではないかと思っています。
持ち物の側面から考察していますが、生活に大きな影響を及ぼすのは結局メンタルなんだなと。
そして、手放すモノがそれまでに大事であったモノであればあるほど、その後得られる行動エネルギーも大きくなるようです。
面白いですね。
モノが時間に変換され、
時間が行動に変換され、
行動が成果に変換され、
成果が信頼に変換され、、、
この連鎖の果てに夢や幸せ、豊かさがあるのですね♪
気が散らなくなる
モノを絞り込んで部屋をスッキリゆとりのある空間にしておけば、気が散らなくなってやりたいことにすぐに取り掛かれるようになったり、集中力が高まってやるべきことが短い時間で終わるようになったりして時間にゆとりができるようになります。
「気が散らなくなる」については前項「やることが少なくなって余る」の「漠然としたいつかのために使うモノ」でもかなり熱く語ってしまっていますので(汗)、この項では既に語ったことをまとめ直してみようと思います。
気が散らなくなる理由3選
- 目移りしなくなる
- モノは持っているだけで、本当は使う気もないのに、知らず知らずのうちにそれを活かそうと考えてしまう
- 気持ちをもっていかれなくなる
- 余分なモノが目に留まらないので集中力が持続する
- 覚悟が決まる
- 気が散らなくなる最大要因
- 「選択と集中」「今を生きる」の実践だから
- No pain, no gain. (犠牲なくして得るものなし)
この記事のまとめ:ミニマリズムのメリット ~時間にゆとり(持ち物の側面)~
この記事のまとめです。
僕かっきさんが考えるミニマリズムのメリット「時間にゆとりができる」について、持ち物の側面から考察しました。
持ち物を最小限に絞り込むことによって得られる効果
- 探し物がなくなる
- 散らからない・片付けが簡単に
- 掃除が簡単に
- 片付けと掃除は違うもの
- 片付け = 「整理」「整頓」「収納」 = モノの厳選と配置
- 掃除 = 「清掃」「清潔」「美化」 = 汚れ穢れの除去
- 掃除よりも片付けが優先事項
- 自動化も可能に
- 選ばなくてよくなる
- 私服の制服化
- リピ買い
- 買い物の機会が少なくなる
- やることが少なくなって余る
- 気分転換や時間つぶしのための娯楽品
- やり過ぎると感性・価値観・世界観を広げる機会を失う
- テレビ、ビデオ、マンガ、雑誌、ゲーム
- 連動するデメリットに注意
- 主体性とバランスが大事
- 漠然としたいつかのために使うモノ
- 趣味のモノ、コレクション
- 管理・メンテナンスの時間が浮く
- 新しいアイテムに目移りしなくなる
- 気持ちを持っていかれなくなる
- 覚悟が決まる
- 気分転換や時間つぶしのための娯楽品
- 手放すとこの効果が得られやすいモノ
- 気が散らなくなる
以上、この記事のまとめでした。
あとがき
いかがだったでしょうか?
僕自身は正直「モノを減らすと時間ができる」というテーマだけで、こんなにもいろんなことが書けてしまうとは思っていませんでした。
僕がこれまでに学んできたことと実践して実感したことを合わせてここに記しました。
書いてみて改めて思ったのは、僕自身がまだまだ発展途上だ、ミニマリストへの道半ばなのだということです。
そんな夢の途中の僕の考察からでも、なにか時間を大切にするヒントを見つけていただけたなら嬉しいです。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。
ほんの少しでも、貴方の一助になれたなら幸いです。
この下に関連リンクをまとめておきましたのでお役立てください。
そして、なんでもよいのでコメント残していっていただけたらとてもうれしいです。
ありがとうございました。